とある日本語教師の海外遍歴記

2年ごとくらいにいろんな国で働く生活を志す人の旅行記

ミャンマー旅行記2017④~市場と民家と占い編~

1月16日、ミャンマー最終日の予定は「占い」。
なんと突然女子っぽい!!
はい、占い好きなんです。スピリチュアル、というか、人知を超えるものは存在するし、科学が追いついていない知識もあると真面目に思っている。

 

まずは飛行機でヤンゴンに戻る。
この日は、1日現地のガイドさん&運転手さんを頼んでいたので、空港で合流。利用したのはこちらのツアー会社の「占いツアー」。

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予約の段のやり取りも当日のガイドさんもミャンマーの人だけど、どちらの方もとても日本語が堪能で終始安心してお任せできた。おすすめ。

 

占いの時間まで少し間があるので、移動がてらヤンゴン中心地から少し離れた町を歩くことに。まさに生活圏といったところ。

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ガイドさんが、市場で右のいもを買ってひとつ剥いてくれた。

生だし芋だし軽く土ついてるし…と、ちょっとどきどきしながらかじってみる。と、これがほんのり甘く、みずみずしくおいしい。ミャンマーの子どもたちがおやつによく食べるそうだけど、納得。そういえば前日、そんなのかじってる人を見た気もする。

ミャンマー語では「アイスポテト」を意味する、と言っていた記憶があるけど、あっさりさくさくした感じがその名前にぴったり。日本語では、葛芋とかヒカマとかいうのかしら。生で食べておいしい芋が存在するということを、初めて知った。

 

芋をかじりながら市場を回ると、地元感増してさらに楽しくなってくる。

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雑多にかかる衣類。日本からの中古品もあるのだろうか。
海外赴任する前、うちにあった衣類を段ボール2箱寄付したけれど、こういうところで売られているのかもしれない。

食料や衣料の店もあれば、貴金属の店もある。

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そんなところで働くキャリアウーマンたち。みんな独身だと言っていた。仕事が忙しくて結婚なんかしてる暇ないわ、と言っていた。親近感。

 

市場から民家のほうへ行ってみる。

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穴だらけの橋も線路も、ゆうゆうと進むガイドさん。

と、ここに電車が来た。

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行先の表示が見えるだろうか。
拡大してみよう。

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久留里線
日本の中古なんですね。それもそのまま使っている。

日本のものが長く使われるのはうれしいことだけども、じゃあ日本でそのまま長く使えばいいじゃんと思う。日本の新しい物至上主義はなんとも気づまりである。

 

とはいえ日本で生まれ育ったわたしは、ここで衝撃を受けることになる。

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たまたま玄関口?に座ってたこの陽気な奥さんが、おうちに上げてくれた。

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部屋は、ここひとつ。壁も屋根も竹や木を編んだものなので、床はほぼ砂。

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その部屋の脇を通り抜けると裏庭に出て、このトタンの向こうがお手洗いだそう。
電気は来ているけど、使える時間が限られているとのこと。水道はなさそうだった。

このうちのご主人は、「公務員の課長さんくらい」とのこと。ガイドさんいわく、そのクラスで極一般的な生活らしい。

衝撃だった。

高層ビルの最上階におしゃれな高級バーが入っていて、わたしたち観光客がわいわい自撮りとかしているヤンゴンのちょっと向こうでは、家族三人一室で砂だらけの床に寝ている。わたしはここには住めないと思った。バガンの砂埃は好きだったけど、それとこれとは違った。「どこでも生きていける」とか、「その地にはその地の生活の良さがある」とか、あまり軽々しく言ってはいけないと思った。

 

その後、いよいよ占い師のもとへ。

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こちらにも載っているマ・ギター先生に見ていただいた。
待ってる間がめっっっちゃ緊張したけど、きついことを言う先生ではなかった。こちらから何も言わないうちから、どんどん話してくれる。英語OKなら英語で話してくれるし質問もできた。

当たってるかどうかは…分からない。でもそのころ立て続けに言われていた「海外、教育」のキーワードがまた出たからびっくりした。やっぱりOLやめて海外で日本語教師になろう、と、こんなことをよりどころにするのはおかしく見えるかもしれないけど、思った。あと、「金には困らないが金持ちにもならない」も「死ぬまで働き続ける」も、また言われた。やっぱり、老後安泰大手会社員の道じゃないじゃないか。

 

帰り道、ガイドさんに、彼女が日本語を教わった日本人の先生の話を聞いた。その方は長くミャンマーで生活して、現地の青少年に尽くして、数年前ミャンマーの地で亡くなったらしい。本当に慕われていたんだろう。自分が教師を目指すとして、教え子にそんな風に思ってもらえたら最期、生きた価値も感じられるかしら、なんて思ったりした。

 

ごはんを食べに寄ったショッピングモールは、打って変わってキラキラでした。

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どうしてショッピングモールって、世界各地で等しく同じ印象にできあがっているんだろう。海外在住者として、そこに安心感を得ていることは否めないわけだけども。

 

そしてその後、わがままを言って郵便局へ寄ってもらって、

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絵はがきをポストへ投函。
ミャンマーの郵便事情はなかなか評判よく、実際かなりスムーズに日本へ届いたと記憶している。

 

そこから空港。ガイドさん運転手さんとお別れ。

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ミャンマー一人旅は、4日間と思えないくらい盛りだくさんでした。

いつか、東南アジアで働きたい。