ウクライナ旅行記2018③~チェルノブイリ博物館編~
6月22日の後半。
キエフ市内の主要な見どころを回った16時くらい、ウクライナ国立チェルノブイリ博物館へきました。翌23日はチェルノブイリ見学ツアーに参加するので、その予習として。
ここは、その名のとおり、チェルノブイリ原発事故の記録を残すための博物館。わたしより年上の人と話すと(というのはわたしがかの原発事故の年に生まれているから)、ソ連の記憶が強いからか「チェルノブイリってロシアだと思ってた」と言われることがあったけど、ウクライナです。(ベラルーシとの国境に近いので、被害地域はベラルーシにも渡るそう。)
先に全体の印象を言ってしまうと、特に非難や主張をするものではなく、未来に向けた原発への意見を言うでもなく、過去に起きた事実の悲惨さを伝えるための展示という印象。この「悲惨さ」というところが前面に出ている。
さて、博物館へ。
1階でオーディオガイドを借りることができ、日本語も選べます。
1階は特別展だそうなのだけど、2018年6月現在「福島展」でした。事故の概要とか、現在の対応とか。白虎隊とウクライナの子どもの人形も。
この博物館内は、ウクライナ旅行の中で一番日本語と日本に関するものを見た場所でした。福島、そして広島・長崎関連。ここでは放射線被害という観点で、これらは横並びに語られています。
主な展示は2階の2部屋。2階への階段に掲げられたプレートは、事故によって立入禁止となり消えた村々の名前だそう。のぼるときもこの陰鬱さだけど、
2階に上がって振り返ると、帰りはもう戻れない。
展示の雰囲気はこんな感じ。
1つ目の展示室には、事故当時の防護服とか、写真とか、爆発した4号機の模型とか、いろいろなメモや書類とかがたくさん置かれています。そして一面には事故処理に関わった人々の顔写真が。
オーディオガイドのボリュームがかなり多いけど、全部聞きました。勉強だと思って腰を据えて、2~3時間じっくり聞きながら見てみるのもいいと思います。(ただ、なぜかこのナレーター、よくつっかえるのが気になる。いったい誰に頼んだろう…わたしが全部録音し直してあげたくなった。)
当時のビデオも豊富にあって見ごたえがありました。地下水の汚染を食い止めるために建屋の下にトンネルを掘る作業が、なんと手作業。人が土を掻き出してトロッコで運ぶ。衝撃的にローテクで捨て身。
2つ目の展示室には、現在にかけての影響調査の様子とか、国際的な運動や支援の様子なども。広島と長崎の紹介もここにあります。
最後にもう一室あって、全体がこんなふうなインスタレーションになってました。
正直、何を表しているのかよく分かりませんでした。現代アートよく分からない。
展示物の写真はあまり撮っていないのだけど、この子どもの手紙は痛ましくて、撮ってしまいました。4、5歳の男の子じゃないかしら。ロシア語のつづりもままならないまま(日本語で言えば「ぼくは」を「ぼくわ」と書いてる感じ)、一生懸命書いたのがわかる。
わたしのロシア語力では理解できていないところもあるけれど、下に大まかに訳してみます。(正しく分かる方、ぜひ教えてください。)
こんにちは、パパ。ぼくはパパがいなくてさみしいよ。
パパは、ママやスターシャおばさんやターニャが泣いたらどうしようって言ってたから、ぼくは手紙を書くことにしたんだ。ママたちだけじゃなくて、おばあちゃんもおじいちゃんも泣いてるよ。
ぼくたちはリューダのところに無事に着いたし、イーナはガーリャおばさんのところに着いたよ。みんな、パパによろしくだって。
またね、大好きなパパへ。
いろいろと考えたことは次のチェルノブイリ見学ツアーの記事に譲るとして、この博物館で感銘を受けたのは、当時現場で働いていたソ連の技術者や労働者の「事故を食い止めるのは自分たちしかいない」という気概を感じたことでした。自己犠牲が美しいとかそういう話では、ありません。上からの圧力もあったと思う。でも、実はわたし日本で電力会社に勤めていて、事務系だけど、発電に直接関わる人たちの「自分たちが守る」という意識はものすごいなと思っていたのです。同じものが多分、あったんだろうと思い、なんだか感激しました。ウクライナもロシアもソ連も、そこで生きる市井の人々って、日本からほんとうに見えにくい。でもわたし、けっこう彼ら好きだと思います。
もうひとつは、この博物館を未来の何かについて考えるきっかけにするなら、この雰囲気に呑まれないようにしなきゃいけないな、ということ。冒頭にも書いた通り、ここは「過去の事故の悲惨さ」を伝えるための場所で、それはほんとうによく分かりました。ただ、それは未来のための判断材料のひとつにはなるけど、すべてではありえない。
補足しておくと、わたし自身は取り立てて原発支持派でも反対派でもありません。その辺はまた次回、もう少し書くことになるでしょう。
この日は疲れたので、独立広場地下のデパートのフードコートで、晩ごはんをテイクアウトして帰りました。ここ便利だった。
翌日はついに、メインイベントです。