ウクライナ旅行記2018④~チェルノブイリ見学・前編~
6月23日(土)、この日は、この旅を決めた理由である「チェルノブイリ原発見学ツアー」です。書いてたら長くなったので前後編にします。
まず少しツアーについて。
2018年現在、観光客の立入はツアーでのみ許可されています。いろいろなツアー会社があるし、日本の会社で日本語ガイドを頼むこともできるけど、料金が高いので、わたしはこちらの英語のツアーに参加しました。
Chernobyl Tours by SoloEast - Breathtaking Trips by the Creator
日帰りで約80ドル。キエフの独立広場前に朝集まり、客20名ずつくらいに運転手兼ガイドさん1名で、バンで向かいます。昼食付き。この日は、3台くらい出ていたと思う。わたしのグループは半分以上がアメリカの人、あとはドイツとかトルコとか、東南アジアっぽい人もいました。わたし含め、一人参加のひともちらほら。
特に不満もなく、ガイドさんもいろいろ説明しつつ適度に自由にさせてくれて、良かったと思います。
また、ガイドの内容は日本語で事前に予習できます。こちらのアプリをどうぞ。(iOS用もあります。詳しくは上記ツアー会社のHPにて。)
このアプリは誰でもダウンロードできるので、詳細な現地の紹介はそちらにお任せするとして、ここではわたしの個人的な感想を覚え書きます。
キエフから2時間くらいで、いわゆるチェルノブイリのエリアへ。
ソヴィエトと原子力のマークに、ウクライナ語で「チョルノブイリ」と書かれています。(「チェルノブイリ」はロシア語。)
まず、立入が制限される30kmの検問を通るのだけど、ここで最初の、そして結局最大だった衝撃が。
グッズ売ってる!!しかも豊富!!
日本でやったら不謹慎で瞬殺でしょう。来る前に、ロシアの学生から「ウクライナ政府はチェルノブイリを観光資源にしょうとしている」という話を聞いて、そのときはピンとこなかったけど、こういうことなのかと。
その先のロッジのようなところで昼食を食べたのだけど、そこにこれがあって第2の衝撃。
ピースポールというらしいです。
当時事故対応に使われた道具が展示されていました(除染済み)。
このローテクさに驚かずにいられません。ガイドさんが「リモートコントロール」と言っていたけど、当時の最先端デジタル信号技術による遠隔操作……とかではなくて、ひもとか引っ張って「極力遠巻きに操作できるようにした」機械らしいです。
放射線は文字どおり放射状に散っていくので、1mでも多く距離を取るべきなのだろうけど、だとしてもどれだけの意味があったのかと思ってしまいます。
なお、ここにいる犬たちは、みんな耳にタグがされて観察されています。
さわっちゃダメです。(ツアーの最初に説明され、署名する遵守事項の中にある。)
次は、プリピャチ市へ入ります。原発労働者とその家族のためにつくられた街、そして事故後30年間放棄され廃墟となっている街。
いまやもう、木々が容赦なく茂る。ここでいくつかの建物に入れます。警察署、学校、プールや体育館など。
中も、容赦なく暗く、荒れ果てている。
窓ガラスは割れて粉々に散っている。
事前の服装注意として「長袖長ズボン、足首も隠せるソックスで来るように。靴底厚めの靴をおすすめする」と言われていて、放射線対策だと思っていたけど、それと同時に直接的なケガ防止の意味も大きかったと気づきます。
そしてだんだん、冒頭のおみやげグッズで予感した感じをより強く感じてくる。あ、ここ、観光地だ、と。
前日のチェルノブイリ博物館で感じた「悲惨さを伝える」という意図は、(移動途中のバンで見たビデオは別として、)今度はあまり感じなくて、むしろこのリアル廃墟を存分に利用し訪問者のドキドキを煽る、というサービス精神を感じました。軍艦島行ったことないけど、あそこもそんなコンセプトなのかしら。
このすばらしきインスタレーション!!!
考えてみれば、地震や津波のように取るもの取りあえず逃げたわけではないのだから、ものが使用途中で放棄されたように残っているのは不自然なのだけど、それは小道具。インスタ映えのような軽さを感じるも、
まんまと乗るわたし。
その極みが、このガスマスクの山。
ただ、これだけのガスマスクを学校に常備していたのだとしたら、それは改めて考えると薄ら恐ろしくなりもします。
遊園地跡にも行きました。黄色が映える。
実はこの遊園地、実際には操業していないのだそう。開園を目前にして事故が起きたので、避難のバスを待つ数時間の間だけ子どもたちを遊ばせたのだとか。