タタルスタン・カザン旅行記2019③~カザン市街散策・後編~
続き。
見所15個のうち9個目と10個目は、バウマン通りという、歩行者専用でカフェやレストランやおみやげ屋がならぶ通りにある像2つ。
まずはこちら、エカテリーナ2世の馬車。
18世紀にエカテリーナ大帝がカザンを訪れた記念に建てられたそう。1000人以上を引き連れてきた女帝の来訪は当時たいへんなことだったよう。
その近くにあるのは、カザンの猫。
サンクトペテルブルクのエルミタージュ美術館の地下ではたくさんの猫が飼われているのだけど、これは「カザンには猫がいるおかげでネズミがいない」と聞きつけたエリザベータ・ペトローブナがまねして始めたことらしい。
カザンのおみやげ屋には、かわいい猫のマグネットがたくさん。飴細工みたいな猫のマグネットを気にいっていくつか買っていったら、学生にも人気であっという間に猫からもらわれていった。
リストの11個目はブラク運河。
特別見所があるわけではないかなーと思ったけど、川沿いを歩くのは良い。
下っていって、12個目の1000年記念公園へ。
市の建設1000年を記念して作られた公園。とてもきれいで整っている公園。が、しかし、いかんせん暑かった。カザンの公園はどこも日影が少なかった気がする。
初日の最後、13個目は「ふるさとのむかし」という名の遊び場。
「タタルスタンの古き時代を再現」みたいに書いてあったけど、行ってみたら、昔風の小屋や遊び道具のある子供向けの公園みたいな感じだった。カラフルでかわいい場所。子どもたちがたくさん遊んでいた。
ここまで地図上で見ると結構距離があると思ったけれど、順番に見ながら歩いてきたらそんなに遠くは感じなかった(疲れたけど)。しかも時間もあまりかからなかった。クレムリンでエルミタージュに入って来ればよかった。
おみやげ屋などを素通りしたバウマン通りへ戻って、今度は店を物色しながらクレムリンのほうへ戻ることに。
この通りには、馬車と猫以外にもたくさんの像が立っていてたのしい。わたしのいちばんのお気に入りはこの馬。
素敵なフォルム!いい目。体中の意匠もいい。
次点はこの時計かな。馬が好きらしい。
通りをずっと戻っていって、クレムリンに帰る。ちなみに、わたしはこのときには乗らなかったけど、地下鉄に乗って戻ってもいいと思う。地下鉄のホームも青いタイルでイスラミック。
そしてクレムリン駅を上がったとことにいるのがこのドラゴン。ついついドラゴン越しにクレムリンとモスクを入れて撮ろうとがんばってしまう。
クレムリンの下をぐるっと回ってみる。この白いクレムリンになる前は、モスクワと同じように赤レンガのクレムリンだったそうで、そんな歴史が覗いていた。
まだまだ時間はあったのだけど、暑くて疲れてきて足が痛くなってきたので、一回ホテルに戻ってシャワーを浴びた。日没のころ、クレムリンの上から見えていた豪華な建物「農業宮殿」とかいう建物を見に行ってみる。農業者のための政府機関らしい。
この、木!建物の一部として立体的に作られていて、神話の木みたい。それもそのはず、カザンの名前の由来と言われる伝説を表しているらしい。(でもその伝説の内容は未調査。。。シュユンビケ塔にまつわる諸説と、クレムリン前の囚われの像の意味と合わせて、この話も後日調査しよう。)
建物のガラスにちょうど夕日がうつって、とてもいい時間だった。
この日は、これで終わり。翌日はちょっと遠出します。
タタルスタン・カザン旅行記2019②~カザン市街散策・前編~
6月22日(土)、まずはホテルで朝ごはんを食べる。朝ごはんは、タタール風、ロシア風、ヨーロッパ風から選べるのでタタールを選んだら、タタール風ミートパイとかチャチャクが出てきた。おいしかった。
腹ごしらえしたらまずはクレムリンへ。この宿はクレムリンのすぐそばなので、朝から鐘の音が聞こえていた。前日、タクシーから見たこの白さが美しくてすでにテンションが上がっている。
クレムリンの正面には、こんな時計塔と像が。
この像が表すところが分からなかったのだけど、何だろう。タタールの歴史と関係あるんだろう。あとで調べてみよう。
①で載せたサイトの「カザン2日間で見るべき15カ所」というのをつぶしていくことに。まずはクレムリン内の1、クル・シャリフというモスク。
白と青が美しい!
正面は、逆光でうまく撮れなかったのだけどこんな感じ。
美しい。
中に入ると、天井の低い部屋。奥でコーランを読んでいる人がいる。また地下にイスラム書物や美術品の博物館がある。アラビア文字は芸術だ。
そこから上に階段を上ると、上から礼拝所を見ることができる。ここが、青くて美しい。
距離撮れなくて全然うまく撮れないので、目で見てほしい。上品に繊細できれい。
外へ出て、今度はロシア正教の聖堂のほうへいく。同じクレムリンの中にモスクと教会がともにあるのが、なんだかいい。寺と神社が一緒にある日本を思えば珍しいことでもないのかもしれないけど。
まず目につくのが、この塔。
見所2、シュユンビケの塔。ななめなのは、本当に斜めだから。ピサの斜塔とだいたい同じ斜め具合なのだとか。
タタールの姫で首長だったシュユンビケが、イワン雷帝との結婚を拒み、イワン雷帝からの贈り物であるこの塔の完成とともに最上階から飛び降りて死んだという伝説の塔。シュユンビケって、とてもロマンの掻き立てられる響き。
見所3の聖堂はこちら。
こちらも中の絵が新しくきれいだった。ロシア正教の教会は、一面に絵が描かれていてどれもきれい。古くても新しくても見ごたえがある。
見所4はカザン・エルミタージュで、博物館になっているようだったけど、時間が読めなかったのでそこは割愛して、通りへ出た。とりあえず、クレムリン通りを下っていく。
見所5と6は、19世紀末~20世紀初めに建てられたはほぼ隣り合う建物アレクサンドロフ館とチョルノヤロフ館。
建築に詳しくないので言われなければ素通りしてたと思うけど、確かに比較的近代的な整然とした感じの建物が多い中、ここだけ時代が違う感じはした。装飾が多くて屋根に鐘みたいなのがある。
見所7のペトロパブロフスキー聖堂(ペトロ・パウロ聖堂)へ行ってみると、
なんとこんな状態だった。でも中には入れて、中は補修が済んで絵がきれいになっていた。本当は上の礼拝所と下の礼拝所と2つ部屋があるようなのだけど、このときちょうど12時くらい、11時半~12時半のお昼休みの最中で、下の礼拝所が閉まっていた。カザンは結構、お昼休みは閉まるところがあった。
下の礼拝所は諦めて、ちょっと寄り道してカザン連邦大学へ行ってみた。写真を撮りたかったのは、この人。
若かりし頃の、レーニン!レーニンはこの大学で学んだあとペテルブルクへ行って革命を起こしたそう。ロシアのあちこちでレーニンの像を見てきたけど、学生時代のはここが初めて。
さて、次に見所8「黒い湖公園」へ。
市民の憩いの場という感じ。市民の憩い方を見てみたい方は覗いてみてもいいかも。ロシアの公園を見慣れた身には、ただ湖(日本語的には池かな)までの道のりが暑かった。。
長くなってきたので続きは次回。いちばんにぎわう通りに行きます。
タタルスタン・カザン旅行記2019①~タタールについてなど~
ロシア生活もあと少し。
6月22・23日の帰国前最後の旅行先に、前から気になっていたカザンを選んだ。
気になっていた理由は3つ。
・イスラムの文化も併せ持つタタルスタン共和国を見たかったこと
・とてもきれいな街だという評判をよく聞いたこと
・わたしの受け持ちの学生の中でわたし的トップの美男美女がともにタタルスタン出身だったこと
である。3つ目が主力。
というわけで、イケメンが多いに違いない!ということでタタルスタン共和国のカザンへ行くことに。
ロシアの中に共和国??って最初はよくわからなかったのだけど、地域で分けられた行政区分が州や地方、民族で分けられた区分が共和国や自治州となるらしい。それらを合わせて、ロシア連邦。
タタルスタン共和国は、その名のとおりタタール人の共和国。(とはいっても実際にはタタール人は住民の半数ほどで、ロシア人や他の民族も住んでいるし、ほかの地域に住んでいるタタール人ももちろんいる。)
タタール人と聞くと、日本ではモンゴルを思う人が多いかもしれない。でもロシアで言うタタール人は少し違って、もともと遊牧民族をまとめて指していたらしい。遊牧民族にはモンゴル系も含むけど、むしろトルコ系(=テュルク系)が多く、その結果だんだんロシア国内のトルコ系の人をまとめて指すようになったらしい。
元来いろんな遊牧民をひっくるめて呼んでいただけあって、地域ごとに〇〇タタールというグループがいくつかある。そしてタタルスタンに住むのは「ヴォルガ・タタール(またはカザン・タタール)」で、特にロシア人との混血が進んでいるよう。
こうして、もともとモンゴロイドだったテュルク系がアラブの人々との混血していまのイケメントルコ人になったように、カザン・タタールは、ロシア系の白い肌と長い手足にモンゴロイドの濃い色の髪と丸くやわらかい輪郭を併せ持つ、わたし好みの美男美女になったのである(推測)。
…イケメンかどうかは置いておくとして、ともかくロシアで言うタタール人というのはモンゴルのイメージとは異なって、ヨーロッパ系の顔をしてイスラム教を信仰する人たちだ、ということだ。文化や民族の融合点ということでロマンを感じるのは中央アジアと似ている。
今回持ち時間は土日の2日間。例のお気に入りのイケメン学生に見所を聞いてみたところ、「タタルスタン出身だけどカザン出身じゃないからわからない」と。そりゃそうだ。しかし、こんなサイトを見つけて教えてくれた。
Что посмотреть в Казани за 2 дня самостоятельно - маршрут, фото, описание, карта
ロシア語のサイトだけど「カザンを2日間で見て回る方法」。せっかくだからこれに従ってみることにした。
さて、ようやく旅行記。
21日(金)の夜にカザン空港着。バスは渋滞で遅れているということだったので、500ルーブル出してホテルまでタクシーにのった。
今回の宿はこちら。
宿の感想としては、うーん悪くないけど…という感じ。安く一人部屋に泊まりたかったから決めたけど、もっといいとこありそう。
もう夜だったけど、少しだけ近くを見て回る。クレムリンの向こうの川沿いはちょうど夕暮れ。
9時過ぎてもまだほんのり明るいので、みんな散歩したり涼んだり走ったりサイクリングしたりしている(ただし、高めのディナーレストラン以外のカフェなどは閉まっていて、食事の場所を探すのに困った)。
夜のクレムリンはライトアップされてきれい。これはクレムリン内のモスク。
じっくり見るのは翌日に取っておく。翌日は市内を歩き回ります。
白夜のサンクトペテルブルク旅行記2019②~ペトロパヴロフスク要塞編~
2回もサンクトペテルブルクを旅行したのに、一度もネヴァ川の向こうに行っていない!ということで、3回目の今回はペトロパヴロフスク要塞へ行くことにしていた。
それはどこかというと、白夜のネヴァ川の対岸に見えていたとびぬけて高い塔...
...右のほうの、これがあるところである。
1703年、ピョートル大帝がサンクトペテルブルクの街を作ったときに建設した要塞。今まで残っているその時代のものは少ないようで、ペテルブルク最初にして最古の旧跡だそう。
ネヴァ川の中州を壁で囲んで作った要塞で、ここには地下鉄の駅がないので、対岸の駅で降りて中州への橋を渡るのがいちばん近い。
この橋の下には川遊びする人がたくさん。
確かに遊びしたくなる暑さ。そんなにきれいな水だとも思えないけども、、、たぶん気にしてないんだろう。
橋を渡って、要塞の門もくぐると
うさぎの像がたくさんある。
もともとこの中州は「うさぎ島」とよばれていたらしい。
そして、対岸から見えていた塔が近づいてくる。
ここは、ペトロパヴロフスキー大聖堂。ペトロはすなわちピョートル。ピョートル大帝時代の貴重な建物。
中は、きれいで明るい、むしろ新しい感じのする教会だった。
ここでいちばんぞくぞくするのは、ロシア皇帝たちの棺だ。
ロシア正教の教会にはよくあることだけども、この地上階に遺体を収めた棺が安置されている。
奥の左が、エカテリーナ2世。
手前の右が、ピョートル大帝。
このあと、牢獄跡を見に行った。スーズダリで見た牢獄と同じような作りだったけど、さすがにもっとずっと部屋数が多かった。各部屋に、投獄されていた人の名前と説明が続く。ゴーリキーもいた。
ほかにも博物館などあるのだけど、この日は水曜日で、あいにく大聖堂とこの監獄以外は休館日だった。博物館には、歴史的な品と言うよりほかではなかなか見られないような当時の生活用品があるようで、おもしろいらしい。時間を使おうと思ったら使えそうな場所。
しかし私は、15時にここを出て地下鉄の駅に戻って空港へ。要塞と地下鉄の駅の間にはきれいなモスクもあって、そこも気になったけど断念。
こうして、こんどこそ最後の(もしかしたら人生最後の)ペテルブルク旅が終わったのでした。そんなこと言ってまたすぐ来てしまったらどうしよう。
白夜のサンクトペテルブルク旅行記2019①〜川と橋編〜
もう行かないと思っていたサンクトペテルブルクに、6月4・5日で3度目の旅行をしてきた。友人が突然来ると言い出したので、滞在時間24時間未満の弾丸旅行。
ペテルブルクの空港に着いたのがもう15時くらい、ホステルへ寄って16時、友人と合流して17時。ホステルから出たときもう18時。
18時でもこの明るさです。ちなみに右は1月に来たとき。5月に来た時も雪だったので、こんなに青空のペテルブルクは初めて。
友人とラーメン屋に行こうということになったのだけど見つからなかった。
閉店したのかと思ったけど、調べ方が悪かっただけで、あとで調べたらまだやっていた。
「政宗」で検索してたけど、ヤルメンが店名だった。しかも、地図の登録がレストランではなくカフェ。それで地図アプリでは見つけられなかった模様。たしかにラーメンはファストフード枠かもしれない。
はるばる日本からここまで来た友人は、どうやら観光する気がないようだったので(そういう旅もあるのだな)、別のレストランに入ってだらっと2時間以上話していた。夜9時くらい、ようやくちょっと夕方みたいになってくる。
エルミタージュのとなりのこの広場では、たくさんの人が遊んだりのんびり座ったりしていた。こういうのいい。(かといって、近くにこんな公園があったとしても、結局自分は自宅に引きこもってしまうのだけど。)
このピョートル大帝像を実は見に来たことがなかったので、ついいろんな方向から撮ってしまった。
後足だけで立つ馬の迫力!
ここで、ボートのツアー乗らないかという客引きに話しかけられる。まだまだ明るいし、乗ってみることに。ロシア語のガイドのみで、約1時間のツアーが500ルーブル。英語ガイドはたしか750ルーブルで、こちらは23時のみとのことだった(ただボートツアーは山ほどあるので、英語ツアーも探せばいろいろあると思う)。
この時、22時少し前。夕焼け。
これはちょうど夕日が沈む方向。まだまだ光が強い。
22時ちょうどくらいにボートが来て、20人くらいが乗り込んだ。市内の運河をぐるっと一周するルート。ロシア語のガイドはあんまり分からなかったのだけど、橋をくぐるたび名前と由緒を話してくれていた。
街並み見学のつもりでいたら、むしろ橋が主要ポイントらしい。
ネフスキー大通り以外の通りを見られるのも楽しい。
左のは大学の寮だそう。窓の並びと明かりのランダムさが美しい。
ちなみに日中はかなり暑かったけど、この時間は結構寒かった。ボートではブランケットも貸し出していた。
23時くらい、最初の場所とは違う運河で船を下りた。川好きとしては楽しいツアーだった。寒い時期に乗るものでもないと思うけど、日が長いこの時期、白夜を待つあいだに乗るのはとてもいいと思う。(ロシア語のガイドは録音が流れるシステムだったので、話を聞いていなくてガイドさんに罪悪感を感じることもなかった。ここ結構ポイント。)
23時を過ぎて、日が沈んで、あたりはきれいな青。でも運河も向こうのほうにはまだ赤さが見える。
宮殿広場に行ってみた。
右は、夜のエルミタージュ。
宮殿広場の真ん中のこの円柱は、地中になんの打ち込みもしてないらしい。それを知って見るとすごい。地震起きませんよう。
白夜の時期は「西日みたいな強い日差しが去ったあと、一晩中ぼうっとオレンジ色っぽい明るさが続く」みたいなことを読んだ記憶があって、わたしの白夜のイメージはそれだったのだけど、実はそんなことはなかった。こんな感じの青さがずっと続いて、地平線近くにちょっとだけ薄紅色がずっと残っていた。
オレンジというのは、こういう建物の照明のことなのでは?と思ったくらい。ただこのオレンジの街並みと夜の青さはきれいだった。こういう青、なんと呼ぶんだろう。コバルトブルー?セルリアンブルー?ペルシアン?瑠璃色?群青??
0時半くらいから跳ね橋が開くと聞いていたので、その少し前にネヴァ川へ。
川を眺めながら、屋台で売ってるトウモロコシを食べながら(日本みたいな醤油を焦がした焼きモロコシではなく蒸しモロコシ)待つも、30分を過ぎても開かない…
急きょ時間が変わったのか、聞いた時間が間違っていたのか分からないけど、1時くらいになって橋の前に見学のボートが続々と集まってきた。
ちょっと渋滞しすぎな気もするほど。
その後、音楽が流れだし、それとともに御開帳。
橋の近くで見すぎたので上がっていく様子があまり分からなかったのだけど、代わりに橋の上に残っていたらしい何かの黒い影が、橋が上がるにつれてずり落ちて行くのが見えました。おもしろかった。
このためだけに夜更かしするものでもないけれど、これで白夜の散歩を〆るのはいいなあと思った。
ホステルに戻って、シャワーを浴びて、もう3時。夜明けが近くて空が明るくなってくるころ、ようやく寝た。
ちなみにホステルは、前回と同じくモスクワ駅近くのTapkiにお世話になりました。お姉さん覚えていてくれた。
ロシア南部ガリャーチー・クリューチ旅行記
わたしが今住んでいるのは、ロシア南部のクラスノダールという町なのだけども、そこから電車で一時間半ほどの「ガリャーチー・クリューチ」というところへ日帰り旅行をした。なかなかいいところだった。
地名を直訳すると「熱い源泉」すなわち温泉のような意味になるこの町は、気候があたたかく鉱泉水が出るので、昔から保養所として栄えてきたそう。今でも年を取ってからここに引っ越す人がいる(同僚教師のお母さんがまさに)。自然が豊かなので、もちろん観光地としても人気。
ちなみにクリューチは、鍵のクリューチと同じ。最初は天気予報とかで地名を聞く度、熱い鍵って変な地名だなーと思っていた。大地を開いて湧き水を出す、と考えると、鍵ですよね。
この日は学生に誘われて行くことになった。学生と一緒のときは、基本「わたしロシア語わかんないからみんな連れてってね」スタンスなので、全てお任せ。くっついていってこんな電車に乗り、こんな駅に着いた。
連休ということで、降りる人も割といた。
ここから目的のサナトリウム(=療養所)までは結構遠いので、バスに乗って行く人が多いのだけど、さすがお金はないけど体力のある学生たちは歩いて行くのでついて行く。
めちゃいい天気…というか、暑かった。30分くらい市街を歩いてサナトリウムの敷地に入る。
ここからさらに公園をずんずん歩いて行くと、ついに、目的の川に出た。おお!きれい!と疲れも回復する勢い。
山の緑と川の緑がとてもきれい。
水が、深さとおそらくはプランクトンとミネラルの濃度で、きれいなグラデーションになっている。写真より実物のほうが、みずみずしいぶんもっときれい。きれいな水ようかんみたい。あまりいい例えではない。
上の橋の脇に、おばちゃんたちが座っていた。どうやら足湯があるらしい。
水温は分からないけれど、こんなところで足湯だなんて驚き。
この写真の真ん中の木は、真っ白。
これはポプラで、ロシアには多い。この時期はこんなふうに綿毛でいっぱい。木が真っ白になる上、あたりに綿毛が飛び交ってなんとなくファンタジックになる。ただし、ロシアの子どもたちにとっては特に感動はないようで、学生からは「校庭が綿毛まみれになるから先生に掃除させられた」「よく燃えるから集めて火をつけて遊んだ」みたいな思い出が語られた。
高い位置からあたりを見ると、なんだか日本にもありそうな山の光景。
ロシアは決して、万年雪の国ではないのです。
サンクトペテルブルク旅行記2019④~ロシア美術館編~
5月5日、この日は一人で朝からロシア美術館へ行く。
冬の旅行のとき入場待ちの列が長すぎて断念したのが心残りだったので、この日は開館前から並びに行くつもりだった。
開館は10時。諸事情あって(というか、ホステルのフレンドリーな女の子たちにどっか一緒に行こうと誘われそうな雰囲気があって、それを避けるため)、朝早く7時半くらいにホステルを出た。外で朝ごはんを食べて、せっかくだから朝の街を散歩した。
ペテルの人々が愛しているという、馬と青年の像。橋の四隅の4体が四コマ漫画みたいになっていて、青年が馬を制していく様子が見える。
これは、人が自然を征服していく様子を示しているらしい。ペテルブルクは西洋だなあ。
人気といえばこの本屋の上の地球儀も人気だそう。前来たときは、知識がなさすぎて見逃していた。
ちょっとロシア美術館を覗きに行ったけど、まだ誰もいなくて早すぎる様子。門が少しだけ空いていて入っていく人がいるけど、おそらく従業員だろう。ということで、前日に続きこの日もカザン聖堂へ行ってみた。
前日と違って電気がついていなくて、暗めの厳かな様子だった。前日とは違う儀式が見られた。
ちなみに、カザン聖堂の前はちょっとした広場になっているけど、
大量のハトにカモメが混じっていた。のけ者にされてて不憫だった。
開館30分前の9時半少し前、美術館のほうに戻ると、ちょうど1組の親子が並ぼうとしていた。
前のプーシキン像のある公園から、しばし様子をうかがってみると、そのあとだんだん並ぶ人が出てきた。そこで私も便乗し、列に加わる。結局、10時までに並んだ人はそこまで多くなかったけど、20~30人くらいいたんじゃないだろうか。
10時、遂に開館。正面の出入口は開いていなくて、向かって右側の小さな入り口から入った。チケットを買って、荷物を預けて、オーディオガイドを借りて、いざ出発。
この建物も、もともとは皇帝の兄弟か誰かのための宮殿だったそう。
エルミタージュやペテルゴフのような豪華な部屋に、皇帝貴族の肖像や彫刻が並ぶ。
この部屋は自慢の部屋らしい。
しかしそういう一部を除き、エルミタージュと違って内装の大部分は美術館仕様に改装されている。
広くてロシア美術が豊富で、いい美術館だった。
…と思ったのだけど、よく考えたらわたし、美術の良し悪しなんてわからないしロシア美術と他の違いもよくわからない。なにが良かったんだろう、と思ったら、帰りの飛行機で読んでいた本にこんなことが書いてあった。
エルミタージュ見学のときのように、規模と内容に圧倒され、力尽きて降参という敗北感は残らないので、よい印象をもてる美術館と言えるのではないか。
まさに、そのとおりすぎて笑った。
引用元はこちら。
小町文雄著『サンクト・ペテルブルグ よみがえった幻想都市』
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美術作品については、こちらのTwitterでいろいろ見られるのでどうぞご覧ください。ロシア美術館で印象に残っているものも、もちろんツイートされている。
Архип Куинджи «Лунная ночь на Днепре» アルヒープ・クインジ『ドニエプル川の月夜』(1880)
— ロシアの絵画・美術 (@russianart_jp) 2019年5月4日
画像では少し分かりづらいが、実物に描かれた月は魔法の絵の具でも使ったように「本当に」光り輝いて見える。 #ロシア絵画 pic.twitter.com/L6nbvaWndt
Константин Савицкий «На войну» コンスタンチン・サヴィツキー《戦争へ》(1888)
— ロシアの絵画・美術 (@russianart_jp) 2019年4月20日
サヴィツキーはロシアの傑出した風俗画家。民衆の生活におけるドラマチックな場面を活き活きと描く。#ロシア絵画 pic.twitter.com/ckjFR8XJqa
Борис Кустодиев «Купчиха за чаем» ボリス・クストディエフ『お茶を嗜む商人の妻』(1918) pic.twitter.com/ZDbp9WGV7i
— ロシアの絵画・美術 (@russianart_jp) 2019年4月3日
ほかには、日本を描いた画家と、
この群島の女神のような絵。
これ、タイトルとか画家とか分からないのだけど、異世界ファンタジーのようで好き。
たっぷり3時間ほど見て、美術館を出た。
正面には、ユーリ・オン・アイスに出ていたらしいライオン。
気を付けなきゃと思ったのは、出口。建物が2つあって、順番に見て回るとスタート地点と違う建物で見学を終わることになり、最初に荷物を預けてオーディオガイドを借りたところと正反対の位置になる。ゲートを出たあとどう戻るのかが分からなかったので、わたしは展示室内を逆流して最初のところに帰った。たぶん、出てからも戻れるのだろうけど。
そうして無事オーディオも返して荷物も取って、空港へと向かったのだった。
もう6月に日本へ帰るし、これでペテルブルクは最後だなあ。またいつか来ることがあるのかなあ。
…なんて思ていたら、案外また来ることになりそうである。その話はまた、そのうち。