ウズベキスタン旅行記2014①~シルクロード準備編~
2019年になってしまった今、旅行記を書くにしても遡りすぎだという気がするが、でもこの辺りから今の生活に向かう流れができていたと思うので、具体的に言えば、このときここへ行っていたからこそロシアへの日本語教師派遣に合格したのだと思うので、記しておく。しかも、2014年まではmixi日記をつけていたから、ここまで来れば10年後にまた一応の振り返りができるというもの。
シルクロードって浪漫があるよね、という印象だけで、中央アジアへ行くことにした。アジアとヨーロッパの真ん中、イスラムだけど旧ソ連。この文化が渦巻く場所がすっかりグローバルスタンダードの波に呑まれてしまう前に行っておかなければ!
とはいえ、ヨーロッパとアジアのいわゆる「日本人に人気の観光地」以外には行ったことがなかったし、長い連休がとれるわけでもなかったので、中央アジアで最も観光地化されていて行きやすそうなウズベキスタンに決めた。
ウズベキスタンは当時ビザが必要だったので、ビザ・航空券・ホテル・空港送迎と都市間移動のパッケージツアーをこちらのJIC旅行センターさんで頼んだ。
いろいろ臨機応変に対応してくれて助かった。ロシアを含めCIS諸国(旧ソ連圏)の旅行を専門にしていて、今もロシア関連の知り合いで使っている人がいるし、評判がいいのでおすすめです。
(※ウズベキスタンのビザに関しては、2018年2月より滞在30日以内に限り免除されたそう。最新の情報は大使館HPでご確認を。)
無事ビザも取得し(パスポートにビザを貼られたのは初めてだったからそれで既にうきうき)、10月24日、まずはタシケントまで飛ぶ。
タシケントに着いた時にはもう夜。ガイドさんが出迎えて、ホテルまで送ってくれた。日本へ留学もしていたそうで日本語が上手で、これだけの関わりだったのが残念だった。
タシケントのホテルはこちら。
部屋に入ると、なんと、電気がつかない…
いきなりの洗礼を受けた気分になりながらも、なにを隠そうわたしは電力会社社員。冷静に分電盤を探し、ブレーカーを入れ直し、漏電しているコンセントを突き止め、そこにつながっていたテレビを他のコンセントに差し替えることで解決しました。ここまでものの5分。経験って財産。それ以降は特に不便もなく過ごせた。
このホテルの巨大で一律で殺風景な感じがこれ以降わたしの中での「ソ連風」の定義になっている。
翌朝、10月25日。
列車でサマルカンドへ向かう。
駅の前にも無表情の警備員がたくさん立っているし、何度もパスポートの提示を求められるしで、なかなかドキドキした。今なら、この無表情はただそういう顔なだけだと知っているけど、若かったのだということにしよう。
列車は快適で、おやつも出た。寝たり窓からステップ地帯を眺めたり。
この文字は、ウズベキスタンの政党の名前のよう。
サマルカンドの駅につくと、またドライバーさんに出迎えてもらい、ホテルへ移動。
ホテルの外観がかわいくて、さらに2階にバルコニーもあって、テンションがあがる。
そうしていよいよ、サマルカンドの街へ繰り出します。次回へ続く。